ようやく秋らしくなり、冬に近づくとlegacy mediaを主に例の風邪症候群の話題ががぶり返します。
それに関連してやたら「健康」や「病気」について取り出さされています。悪いことではないのだが、やもするとあまりにも病気を恐れすぎている感があります。
実際のところバランスを欠いていることは間違いない。
「バランス」とは・・・・。
バランス(balance)という言葉はラテン語の”bilanx„からきています。
人の身体は動的平衡とテンセグリティ
”bilanx„は二つ(bi-)の平皿(lanx)でできている計量用の天秤(libra)を意味する複合語”libra bilanx„の一部であって、さらに「平衡」(equilibrium)という言葉にも同じラテン語の”libra"(天秤)が使われています。
天秤は完全に静止しているようでもわずかに動揺(動的平衡)しています。
それは健康と病気にも置き換えて考えることができます。
なぜか?
それは人間を構成し、人間を取り巻くあらゆる要素、あらゆる力が常に変化し働いており、休息と活動の周期・ホルモンの分泌・本能的衝動の盛衰、刺激物、病原物質、老化、感情、などの様々な波にさらされている。そのような中で「一時的」であっても「平衡」を保っていること自体がそもそも奇跡的といえるからです。
いいかえれば「健康」という状態は「一時的」なものでしかない。
健康とは病気は相対している。 ここでいう病気というのは必ずしも床に臥す、入院する、病院にいくということを意味しているわけではなく・頭痛・倦怠感・入眠困難・軽い喉の痛み・数時間の消化不良 等々、誰しも1週間のうちに少なからず認知するようなこと。(人によっては気づかない、考えもしない)
平衡が崩れている期間は相対的に健康という二つの山の期間に挟まれた、相対的に病気という谷の期間といえます。
このように変化に対応する基盤を再構築するためにバランスは崩れるようにできている。つまり健康と病気は相対関係であるいうことです。
身体は常に”治ろう”としている
だから相対する世界では完全な健康はありえない。
そこで完璧な健康や治療法を焦って求めたり、その状態(病気)を起こってはならないものと考えて拒絶したり、そこに自分の人間としての価値に関わる何らかの意味を見出そうとするべきではない。なぜなら病気に意味があるのではなく、ただ病気があるだけなのですから。
もちろん、早く治るように養生したり、日常的な習慣を見直すことは必要です。そして例え症状が深刻でひどい苦痛を伴うものであっても、それも体が新しい条件にあうよう再調整されている一時的な局面であり、常に体は自分の自身の為に動いてくれているのです。我々はもっと自分の体を信じるべきはないでしょうか。身体は細胞~白血球~ミトコンドリアを主に常に治ろうとしています(恒常性)。
最後までお読みいただきありがとうございました
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